あなたと一緒にgramioを作り上げたい × 理不尽な未来はブログで変えられる

こんばんは、おさちです。

メールを書きながら
興奮冷めやらぬ感じです。

というのも

昨日解禁した動画への反響が
予想以上に大きくて
主人とふたり目を丸くしています。

プレエントリー者も定員を超えてしまいました。
本当にありがとうございます!!

このままですと、
プレエントリー者のみの
ご案内になる可能性も出てきました。

少しでも興味がある場合は
せひプレエントリーしておきましょう!

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それから、

あなたがまだ
動画を見ていないという場合は
こちらからぜひご覧になってください。

◆【gramio】予告動画~No.1~

そんな中、
gramioのネーミングについて
気になった方もいらっしゃったようです。

実は『gramio』という名前には
私の『母への思い』がありました。

私の父と母はふたりとも
幼い頃はカギっ子でした。

父方の父は戦死、
母方の父は身体が病弱で
私が3歳の頃に亡くなりました。

父も母も小さい時から
“母親”が一家の大黒柱だったので
カギっ子だったんです。

母は特に5人姉弟の末っ子で
学校から帰ると
誰もいない家でひとり寂しかったと。

そんな二人の間に生まれた私たち姉弟3人は

『カギっ子にだけはしたくない!」
というふたりの思いから

母はずっと専業主婦で家にいてくれました。

今考えると
家に帰って「おかえり!」と迎えてくれる
母の存在は当たり前じゃなかったんだなぁ。

学校から帰ると
必ず手作りのおやつがありました。

食パンの耳を揚げて
砂糖をまぶした”カリカリ”や
かき揚げのような芋天。

キレイな色の寒天ゼリーや
餃子の皮に蒸かし芋をつめて揚げた
ちょっと不格好な芋ギョウザ。

どれもほんっとに美味しかった!

芋天は輪切りが一般的なんて
大きくなってから知りましたよ。

まぁそのおかげもあって
息子には手作りおやつをよく作ります。

気づけば
息子もお菓子作りが大好きで
卵を割るのは息子の係。

うっかり先に割ってしまうと
かなりの確率で拗ねてしまいます(笑)

そんな母の愛情を
いっぱいうけて育ちました。

車の免許を持たない母は歩いて
私たちをあちこち連れていってくれてました。

おにぎりを作って、水筒を下げて、
5歳の私の足で1時間はかかる遠くのスーパーに
途中休憩をはさみながら一日がかりで
買い物にもよく行ってましたっけ。

車が通ることもほとんどない
両脇が田んぼや畑のあぜ道を
影ふみや鬼ごっこをしながら
行き来したのを覚えています。

今考えると下2人が年子で
さらに私を連れて車もなしに
何キロも離れたスーパーに行くって
とんでもなく大変ですよ!

自分が親になってみると
母親の大きすぎる愛情には
「かなわないなぁ。」とつくづく感じます。

母は私たち3人に愛情を注ぐことが
一番の生き甲斐になっていたんです。

しかし、

母は父と祖母によって
一生のうちに経験しなくてもいいくらいの
人生を背負うことになっていきました。

祖母と母の関係は
昼ドラに出てくるような
昔ながらの嫁姑バトルが
繰り広げられていたんです。

子供ながらになんとな~く
感じることはあったけれど

後から聞くと
「ドラマでもそこまでなくない??」
ってくらいのことがあってました( ゚Д゚)

「父が借金を繰り返すのは母のせいだ」とか
「親戚の集まりを母にだけ知らせない」とか

まぁ、これくらいは序の口です。

熊本からひとりで鹿児島に嫁いだ母には
相談できる相手が近くにおらず
精神的にもかなりツラかったはず。

さらには

父の借金返済に追われて
とっくにおかしくなってても
不思議じゃないくらいの状況でした。

父は名のあるかなり大手の会社に
勤めていたこともあって
金融機関からじゃんじゃん
借りれたようで。。。

最後は闇金にも手を出して
私が中学生の頃には
働きに出ないといけなくなるほどでした。

幼い頃の私にはその時の母が
どれほどの苦労を背負っていたか
知る由はありませんでした。

それでも一度だけ
母が涙したことを覚えています。

あれは明け方だったでしょうか?
小学1年にもなってなかったと思います。

いつもより早く目覚めた私が布団を出て
台所に行くと涙目の母がひとり。

母は涙を慌ててぬぐったものの
堪え切れなかったのか
私をそっと抱きしめて

「家を出て行かないといけない。。。」

そうつぶやいたんです。

私はわけがわからず
母につられて気づいた時には
エプロンを涙で濡らしていました。

その時の記憶だけが鮮明に残っていて
その後のことはよく覚えていません。

いつも笑顔を絶やさず
愛情をめいっぱい注いでくれた母だったので
あの涙は子供の頃の記憶として忘れられません。

それでも
私たちの成長が母の唯一の救いだったんです。

それを知ってか知らずか
私は勉強好きな子に成長していきました。

テストで100点取ったり、
通知表が良かったりすると
母がとても喜んでくれて
もっと頑張ろうと勉強してました。

「医者になるんだ!」と
夢を追いかけて希望の大学に
1次、2次と受かった時には
合格発表の掲示板の前で抱き合って
涙を流して喜んでくれました。

それはもう、自分のことのように
本当に嬉しそうに。

でも最終審査で不合格。

各都道府県から男女各1名ずつ
しか受からない超難関大でした。

私はもちろんショックだったけど
私以上に母のショックは大きかった。

私も医者になれば、
苦労してきた母を楽にしてあげられる
と思っていたのにその夢が叶えられなかった。

10年思い続けた夢は
あっけなく散ってしまいました。

でもそこからは働かなきゃ!と
公務員試験にシフトして
バイトをしながら勉強しました。

無事に試験にも合格して
晴れて公務員デビューできるはずでした。

ところが、

合格したのに公務員になれないという
よくわからない事態に。。。

聞けば、
合格した人はその年の合格者名簿に載るだけで
私が受かった年は新卒しか採用しない年だったんです。

「じゃあ、合格させるなよ!」

電話越しに叫びたくなるのを
グッとこらえて耐えました。

これまた母を落胆させてしまった
自分がやるせなくてしょうがありませんでした。

その後
決まった就職先が
待遇もよくて安定したところだったので
母はやっと安堵してくれました。

でもその会社も
続けられずに6年程で辞めてしまったんです。

ある時、

仕事から帰ってきて
用意された夕飯を食べていた時のこと。
職場の愚痴をつい母にこぼしてしまいました。

母は
「やめなきゃよかったのに。」
とひと言。

そう母に言われた時はもうホントにキツかった。

母に悪気があるわけではないんだけど、
自分でも迷走してるのがわかっていた分
母に反抗的な態度をとってしまって。。。

いい歳になって
親に心配かけ続けて何やってるんだ!と。

一体自分は何がしたいんだ!と。

自分が悪いのに
気づけば泣きながら
母に汚い言葉を浴びせてました。

その頃の私は
派遣社員や契約社員を転々として
なんとか食いつなぐような
年収200万程度のOLでした。

母の営むスナックが
厳しい経営状況だったのも
知っていたからこそ少しでも助けたい!

その思いはあるけれど
金銭的に余裕がない。

もうツラくてツラくて
夜のバイトをしようかと
思ったこともありました。

何もかもが中途半端で
どうしてこうなっちゃったんだろうと。

大学受験に失敗してから
思い描いていた輝かしい未来が
どんどんどんどん遠ざかっていく―

必死に食らいついて進んできたはずなのに
わたしはもう幸せになれないんじゃないか?

ひとりで夜の歩道橋を歩いた時
車のネオンの中に落ちたらどんなに楽だろう?

そう思ってしまう自分に
心底驚いたのも覚えてる。

それくらい精神的に参ってた。

なんとか持ちこたえられたのは
今の主人の存在が大きい。

私が仕事を辞めた時
永久就職の道もありました。

でも母に反対されてしまって。

母のお店の買い出しや母の毎日の送迎を
一手に担っていたというのもありました。

「私がいないと困る。」と。

主人はそれから3年以上も
私のことを待っていてくれました。

こんな人、なかなかいない。
ホントにありがとう。

主人と結婚してからは
自分の家庭のことが精いっぱいで
母に金銭的な支援がなかなかできませんでした。

でも今ならできる!

ブログで起業するとは
全く想像もつかなかったけれど
この新企画も母が応援してくれています。

今度こそはと
めちゃくちゃ期待してる(笑)

そんな母を
初めての海外旅行に連れて行ったのは私でした。

と言っても
“ドイツ”に行ったその一回しか
母は海外に行っていません。

実家に扉に貼ってあった
海外のキレイなお城のポスター。

シンデレラ城のモデルになったと言われる
“ノイシュバンシュタイン城”でした。

母はずーっと
行きたがっていたんです。

いつも自分のことは二の次で
私たち子供たちのことを
考えてくれていた母が
唯一口にした願望でもありました。

今でも
ドイツ旅行の写真を見ては

「本当に楽しかった!」
「いい経験ができた!」

と嬉しそうに話してくれます。

さすがにこの時ばかりはほんのちょっとだけ
親孝行できたかなと胸がアツくなりました。

そして今、
母は次なる国に狙いを定めています。

イタリア水の都”ベネチア”

そう、ドイツから次はイタリアなんです。

ここから『gramio』が生まれました。

壮絶な苦労をしてきた母を安心させるために
これまでの分ももっともっと親孝行するために

そんな”裏”メッセージも込められています。

母をイタリアに連れて行くことで
gramioを完成させたいとも思っています。

もっと言うと、

gramioに参加してくれる
あなたがいないとgramioって
成り立たないんです!

私が母を大切に思うように
あなたにも大切な人がいるはずだから。

あなたが輝くのはもちろんなんだけど
そうなることであなたの
大切な人も幸せにできる。

それが”gramio”の完成形なんです!

今どうしようもなく不安だとしても
先行きに希望が持てなくても
大切な人の笑顔が見えなくても。

ブログで『自分で稼ぐ力』を身につければ

頑張って勉強しても大学受験に失敗するような
試験に合格しても公務員になれないような

そんな理不尽な未来は訪れません!

『自分次第でなんとかなる』
ブログで手にする未来をあなたにも感じてほしい。

母への思いをのせたこのgramioでは
参加メンバーを母の愛で包み込むように
おひとりおひとりと真剣に向き合います。

どんな些細なことも見逃したくないし、
誰にも自分の未来を諦めさせない。

ブログ初心者でも
パソコンが苦手でも
文章力がなくたって

私が引き上げていきますから!!

独りで悩んでないで
私に聞いてください。

今もたくさんのお問い合わせに
おひとりずつお返事していますから。

あなたに少しでも
私のgramioにかける思いが伝わっていると嬉しいです。

P.S.

昨夜からプレエントリーを開始したところ
すでに募集定員を超える予約が入っています。

ですので、

今のうちに以下フォームより
プレエントリーを済ませておきましょう。

◆プレエントリーはこちら
 →https://osachi.biz/p/r/R3MH4cTx

P.P.S.

それから
予告動画をまだご覧になっていない場合は
ぜひぜひご覧ください。

◆【gramio】予告動画~No.1~

最後までお読みいただきありがとうございました。

それでは、また。

おさち

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